名古屋市が掲げる「水の環復活プラン」

名古屋市は2007年2月から、「なごや水の環(わ)復活プラン」を掲げ、水循環の健全化を重要な都市政策として位置づけてきました。

2025年からは、2030年度までの重点的な取り組みを示す新たな「水の環復活なごや戦略実行計画2030」も開始されています。

この背景にあるのは、都市化によって失われた雨水の浸透機能や地下水涵養機能を回復させる必要性です。

そして、この「水の環復活プラン」において重要な場所の一つが、名古屋市東部に広がる相生山緑地です。

しかし、この相生山緑地を横切る道路建設計画(弥富相生山線)は、まさにこの水循環の健全化という方向性と、真っ向から矛盾します。

本記事では、その鍵となる「雨水流出率」という指標を軸に、道路建設が水環境にもたらすリスクを整理します。


都市水文学から見た相生山緑地の特徴

相生山緑地は、

  • 砂礫質台地
  • 里山環境
  • 都市近郊の大規模緑地

という特徴を持ちます。特に、この砂礫質の地盤は透水性が高く、地盤そのものが水を貯め込む能力はそれほど高くありません。

そのため、森林の植生そのものが持つ保水機能が極めて重要な役割を果たしている、という特徴があります。

言い換えれば、相生山は「地盤の力」ではなく「森の力」によって水を支えているデリケートな緑地だということです。


そもそも「流出率」とは何か

流出率とは、都市水文学などで用いられる用語で、降った雨のうち、何%が地中に浸み込まずに、そのまま地表を流れ出てしまうかを示す数値です。

流出率が低いほど、雨水が地中にしっかり浸透し、地下水として蓄えられていることを意味します。

名古屋市全体の流出率

学術検証委員会の議事録によると、名古屋市全体では2001年時点で流出率が62%だったとされています。

「水の環復活プラン」では、2050年までに名古屋市全体の雨水流出率を36%まで下げるという具体的な目標が掲げられています。

ただし、現実的には、この目標の達成は容易ではない状況のようです。

相生山緑地の現在の流出率

学術検証委員会議事録によれば、相生山緑地では現状「降雨の約37%が直接流出する」という調査結果が報告されています。

一般的に、都市部では流出率が60%以上(場合によっては80%以上)に達することも珍しくないため、この37%という数字は、それと比べれば相対的に良好な数字だといえます。

しかし、相生山は前述の通り、乾燥しやすい砂礫質地盤の上に成り立つ緑地です。

そのため、流出率の変化に対して非常に敏感な環境だと考えられます。

約37%という現在の数字は、いわば「乾燥化の一歩手前で、かろうじてバランスが保たれている状態」という可能性があるのです。


相生山緑地は都市の「緑のダム」

ここで、森林や緑地が果たしている役割を、もう少し詳しく見てみましょう。

森林や緑地には、降雨を一時的に貯留し、地下へ浸透させる機能があります。この働きは、しばしば「緑のダム」と呼ばれます。

降った雨がすぐに河川へ流出するのではなく、

  • 土壌に浸透する
  • 地下水として蓄えられる
  • ゆっくりと河川へ流出する

というプロセスを経ることで、洪水のピーク流量が抑制されます。

また、地下水の涵養や、夏季の蒸発散を通じた気温調整にも寄与しています。

相生山緑地は、まさにこの「緑のダム」としての機能を、周辺地域に対して提供してきた存在だといえます。

道路建設によってこの流出率が上昇するということは、この「緑のダム」の貯水能力そのものが低下することを意味します。

これは、単に緑地の面積が減るということ以上に、相生山緑地が持つ「水循環システム」全体が変質してしまうことを意味しています。

ここから生じる問題は、大きく2つに整理できます。

  1. 緑のダム機能の低下(洪水緩和・地下水涵養機能の低下)
  2. 森の乾燥化の悪循環(生態系そのものへの波及)

以下、それぞれ詳しく見ていきます。


リスク①:緑のダム機能の低下

1. 道路建設による流出率の上昇

学術検証委員会議事録によれば、道路が建設された場合、相生山緑地の流出率は37%から55%へ上昇すると報告されています。

都市水文学において、「50%」という数字に、あらゆる緑地に共通する絶対的な「しきい値」が存在するわけではありません。

しかし、一般的な傾向として、流出率がおおむね50%程度を超えてくると、

  • 浸透量の減少
  • 地下水涵養の低下
  • 樹木の水ストレス増加

といった影響が生じやすくなることが知られています。

55%という数字は、まさにこの水準を上回っており、深刻な変化と捉えるべき数字だと考えられます。

流出率が37%から55%へ上昇するということは、浸透や地下水涵養に利用されるはずだった水の割合が、大きく目減りすることを意味します。これは、

  • 洪水緩和機能の低下
  • 地下水涵養機能の低下
  • 蒸発散機能の低下

という、3つの機能低下に直結します。

2. 洪水対策への影響

近年の都市政策では、河川改修だけでなく、流域全体で雨水を受け止めるという考え方が重視されるようになっています。

森林や緑地は、その重要な構成要素の一つです。

もし相生山緑地の浸透能力が低下すれば、流域全体としての保水能力も低下し、下流域における洪水リスクの増加につながる可能性があります。

3. 名古屋市の水循環政策との整合性

先述の通り、名古屋市は長年にわたり「水の環復活プラン」を掲げ、健全な水循環の回復を重要な政策課題としてきました。

地下水涵養や雨水浸透の促進は、その中心的な目標です。

この観点から見ると、浸透量の減少を伴う道路開発は、都市全体で目指している水循環改善の方向性から、明確に逆行するものだといえます。


リスク②:森の乾燥化の悪循環

しかし、より深刻なのは、この第二の問題です。

これは、森の生態系そのものの持続性に関わるリスクです。

1. 森林は水によって維持されている

森は、

  • 土壌水分
  • 地下水
  • 植生
  • 微気象

が相互に結びついた、一つの「システム」です。

つまり、森林は水によって維持されている、といえます。

前述の通り、相生山緑地は透水性の高い砂礫質地盤の上に成立しています。

こうした地盤は、浸透性に優れる一方で、地盤そのものの保水力はそれほど高くありません。

そのため、森の湿潤性が維持されるためには、継続的な降雨浸透と地下水補給が欠かせない条件になっています。

2. 「乾燥化が乾燥化を呼ぶ」悪循環

近年の生態学や都市水文学の研究では、環境変化は単純な直線的変化ではなく、フィードバック(悪循環・好循環)を伴うことが知られています。

もし流出率がしきい値を超えて上昇した場合、次のような悪循環が発生するおそれがあります。

浸透量の減少
 ↓
土壌の乾燥
 ↓
樹木の衰弱(水ストレスの増加)
 ↓
蒸発散機能の低下
 ↓
気温の上昇・さらなる乾燥
 ↓
植生のさらなる劣化

これが、いわゆる「乾燥化が乾燥化を呼ぶ」現象です。

学問的には、自己増幅的なフィードバックループとも呼ばれます。

森林が現在のように維持されている間は安定して見えても、道路建設によって流出率がしきい値を超えると、環境が急速に変化してしまう危険性がある、という点に注意が必要です。

都市水文学的に見て、相生山緑地は決して「多少の変化に耐えられる頑丈な緑地」ではなく、バランスの上に成り立つ、デリケートな緑地だと考えられます。

3. 生態系への影響

森林が乾燥化すると、最初に影響を受けるのは、水分条件の変化に敏感な生物です。

  • 昆虫
  • 菌類
  • 下層植生(低木や草本、シダ植物など)

これらは、微妙な湿度変化にも反応します。さらに環境変化が進めば、森林全体の種構成そのものが変化する可能性もあります。生態系は、一度変化してしまうと、元の状態へ戻すことが困難になるという性質を持っています。

このため、環境政策の分野では、予防原則という考え方が重視されています。

参考:予防原則(Precautionary Principle)とは:

環境破壊や健康被害など、不可逆的な影響が懸念されるケースでは、科学的な因果関係が完全に証明されていなくても、被害が起こる前に規制などの予防措置を講じるべきだ、とする考え方です。

科学的な知見が不十分・不確実であり、「絶対に安全」とも「絶対に危険」とも断定できない段階であっても、この予防原則は適用されるべきとされています。

緑地の乾燥化が進めば、生態系への影響が生じるだけでなく、次に述べる「グリーンインフラ」としての機能そのものも低下することになります。


グリーンインフラとしての相生山緑地

近年の都市政策では、緑地を単なる「残された自然」としてではなく、都市機能を支えるグリーンインフラとして評価する考え方が広がっています。

かつての都市計画では、道路や建築物などの人工インフラの整備が中心でした。

しかし現在では、森林・湿地・地下水・水循環といった自然環境そのものを、社会を支えるインフラの一部として位置づける発想へと変化してきています。

相生山緑地は、単なる空き地や未利用地ではなく、次のような多面的機能を持つ、都市インフラの一部です。

  • 雨水浸透
  • 地下水涵養
  • ヒートアイランド緩和
  • 生物多様性保全
  • 環境教育

これらは単なる環境価値にとどまらず、都市の安全性や快適性そのものを支える社会資本でもあります。

現代の都市計画では、交通利便性だけでなく、地下水・生態系・気候・防災といった要素を統合的に評価する視点が求められています。

相生山緑地は、まさにこの視点の重要性を考える上で、象徴的な存在だといえるでしょう。


おわりに

相生山緑地をめぐる問題は、「道路か自然か」という単純な対立の話ではありません。

本質的には、都市が将来どのような水循環システムを持つべきか、という、より大きな問いでもあります。

もし流出率の上昇によって「緑のダム」機能が低下し、さらに森林の乾燥化という悪循環が生じるならば、その影響は道路予定地という限られた範囲を超えて、都市全体の環境基盤にまで及ぶ可能性があります。

これらのリスクを踏まえれば、水循環という観点だけからでも、「弥富相生山線」計画には、看過できない重大なリスクが伴うと言わざるを得ません。

だからこそ現代の都市計画では、交通利便性だけでなく、水循環・生態系・グリーンインフラとしての価値を含めた、総合的な評価が求められているのです。