弥富相生山線をめぐる議論では、相生山緑地のヒメボタルへの影響が、重要な論点の一つになっています。
名古屋市の主張
名古屋市は、ヒメボタルの分布・個体数の現況調査や、”学識者”の意見を利用するなどして、「ヒメボタルは守れる」との姿勢を示しています。
名古屋市の主張は正しいか?
ここで、まず確認しておきたいことがあります。
「現在、ヒメボタルが広い範囲で確認されている」ことと、「道路を建設しても、ヒメボタルが将来にわたって残る」ことは、同じ意味ではない
この記事では、名古屋市が「ヒメボタルは守れる」と説明する根拠について、生態学の知見や、市自身が参照したと述べている国の技術手法(国総研「道路環境影響評価」)などに照らして検証します。
市は、何を根拠に「守れる」としているのか
まず、市側の根拠を、できるだけ公平に整理します。
① 分布の広さ
相生山緑地では、ヒメボタルがほぼ全域で確認されているとされています。
2025年の学識者ヒアリング議事録にも、次の発言が記録されています。
「ホタルは丈夫だし、これだけ全域にいるのでいなくならない。」
「…緑地内の広範囲にいるためこの道が出来ても絶対残る。」
少なくとも議事録上、「絶対残る」の理由として示されているのは、「広範囲にいる」という分布の広さです。
② 既に整備した区間での「回復」
市の説明会資料(2026年3月1日)には、既に整備した区間のモニタリング結果を踏まえて、
今後整備していく区間におきましても、整備中は一時影響はあろうかと思いますが、整備が終われば回復していくものと考えております
という趣旨の説明があります。
このほか、橋りょう構造を採用する箇所では、沢筋や散策路だけでなく、動物の移動経路の確保にもつながる、と説明されています。
以上が、市の根拠の概要です。
ヒメボタルは、確かに広く分布しているが・・・
名古屋市の説明会資料(2026年3月1日)のQ.ヒメボタルはいなくならない?という項目では、相生山緑地についてヒメボタルの生息状況を調査しています。
約40ヘクタールの範囲を40メートル四方のメッシュに区切り、各メッシュのヒメボタルを調査した結果、「相生山緑地のほぼ全域で確認された」とされています。
これは、「現在、ヒメボタルが広く分布している」ということを示す重要なデータではあります。
しかし、道路建設の影響を評価する場合には、別のレベルの問題を考える必要があります。
以下では、これらの根拠で、「将来にわたって残る」ことまで言えるのかを検討します。
「今いる」ことと「将来も残る」ことは違う
ある時点での分布や個体数は、いわば「現時点のスナップショット」です。
たとえば、ある森にヒメボタルが1,000匹いたとして、道路建設後も500匹が確認されたとします。
この数字だけで、「半分残っているから保全された」とは言えません。
重要なのは、その個体群が、将来も存続できる構造を保っているかです。
具体的には、次のような点を確認する必要があります。
- 生息に適した環境が、質も含めて、どの程度残るか?
- 生息地同士が、つながりを保てているか?
- 個体が、生息地の間を移動できるか?
- ある場所で個体群が消えたとき、別の場所から再び定着できるか?
- 数年〜数十年後に、さらに減少していく可能性はないか?
つまり、「現在の分布・個体数」は出発点にすぎず、それだけで「絶対残る」と結論づけることはできません。
道路建設で問題になるのは、「生息地の分断」
道路建設の影響を考えるとき、特に重要になるのが生息地の分断です。
1. 「メタ個体群」という考え方
仮に、ヒメボタルの生息地を、模式的に3つのまとまりA・B・Cに分けて考えてみます。
まとまりA・B・Cは、生態学の用語でパッチとも呼びます。
相生山緑地のヒメボタルの場合で考えるなら、
- パッチA:オアシスの森
- パッチB:道路予定地(コア・エリア)
- パッチC:道路予定地の南側一帯
などと分類すると分かりやすいかと思います。
※これは、実際の場合ではなく、あくまで考え方を示すための仮想モデルです。
#パッチ間のネットワーク
A ←──→ B ←──→ C
パッチA・B・Cが互いに行き来できるネットワーク体を、生態学ではメタ個体群と呼びます。
2. 再定着
上記のメタ個体群の場合、仮に、たとえばAで個体群が減っても、BやCから個体が移動してきて、回復できる可能性があります。
このパッチ間の補充関係を、「再定着」と呼びます。
3. パッチ間の分断
ところが、道路によって真ん中のBが失われたり、行き来が遮られたりすると、次のようになります。
#パッチ間の分断
A←──→ ❌️ ←──→ C
AとCの間の交流が弱まったり、途絶えたりすれば、一つのネットワークとして支えられていた個体群が、小さな個体群に分かれてしまいます。
小さく孤立した個体群は、環境の変動や偶然の事故に弱く、一度減ると回復しにくくなります。
国交省の資料でも
このことは、名古屋市が参照したとする国土交通省の国土技術政策総合研究所(国総研)の資料でも指摘されています。
道路の建設によってメタ個体群が分断され、供給源となる個体群との交流ができなくなった場合には、その地域で種が存続できなくなる可能性がある、とされています。
「分断」は、20年以上前から指摘されていた
生息地の分断という問題は、今になって出てきたものではありません。
2001年に設置された「専門家会」の第1回会議(弥富相生山線)では、専門家(インスペクター)から、次のような意見が出されています。
「相生山緑地全体にどんな影響が及ぶのかを考えるべき。動物の生息域、植物の生息域が分断される影響が大きい。」 (第1回専門家会、名古屋市公式サイト)
「ヒメボタルが今どこにいるか」だけでなく、「緑地全体にどんな影響が及ぶのか」「分断による影響が大きい」という視点は、計画の初期段階から、専門家によって示されていたということです。
ヒメボタルは、再定着が特に難しい可能性がある
ここで、ヒメボタルの生態が重要になります。
相生山緑地の場合、下記の2つの場合に分けて検討する必要があります。
- ヒメボタルのメスの移動距離
- 橋梁の下の状態
1. ヒメボタルのメスは移動距離が短い
ヒメボタルのメスは、後翅が退化していて、飛ぶことができません。
そのため、分布地の移動性が小さく、個々の個体群が隔離されやすい種だとされています。
一般論としては、「他のパッチから個体が移動してくれば、再び個体群が形成される」と考えることができます。
しかし、飛べないメスを持つヒメボタルでは、この「再定着」が、飛翔力のある昆虫と比べて、起こりにくい可能性があります。
だからこそ、「広範囲にいる」という分布の広さだけでなく、分断後も、メスの移動範囲を踏まえた連結性が保たれるのかを確認する必要があります。
2. 橋梁の下の状態は?
橋りょう構造が採用される箇所について、市は動物の移動経路の確保につながると説明しています。
一方、2025年の「学識者ヒアリング議事録」の非公開部分の中には、専門家の次のような発言も記録されています。
「橋梁により下に暗がりができることで、そこでホタルが暮らすということはあり得るが、地面の状態が繁殖に適した状態であるかが重要。」
「ホタルに影響が出ない照度というデータはない…」
つまり、専門家自身も、橋りょうの下の環境が繁殖に適しているかどうかが重要であり、照度の影響については確立したデータがない、という留保をつけています。
名古屋市の「自主的な環境アセス」とは?
市は、折衷案の環境予測について、法や条例に基づく環境アセスメントの対象外としたうえで、「自主的な環境アセスメント」として、国総研の「道路環境影響評価の技術手法」を参考に予測・評価を行った、と説明しています。
国総研「道路環境影響評価の技術手法」によれば
この技術手法の「動物・植物・生態系」に関する記述では、道路による動物の生息地の分断の影響が及ぶ範囲は、動物の種ごとに移動能力や行動圏が大きく異なるため、一律には定められない、とされています。
言い換えれば、分断の影響は、対象とする種の移動能力を踏まえて評価する必要がある、ということです。
名古屋市による評価は?
では、ヒメボタルについて、市はどのような評価を行ったのでしょうか。
市の説明会資料(2026年3月1日)には、自然環境への配慮方法(環境影響評価)という項目に、道路工事の生態系への影響についての記載があり、次のような表が掲載されています。
この表では、工法による影響度合いを「大・中・小・無」と表現しています。
また、この表に関する市民意見への回答で、
植物及び動物に関する評価は、環境省及び愛知県、名古屋市の各レッドリストに記載されている種(以下、重要種)を対象とし、重要種の生息環境となる植生区分の面積に対する改変面積の割合を算出して行っております。
なお、ヒメボタルは観測調査を行った地点数に対する改変地点数の割合を、ヒメボタルの幼虫は生息環境の質の変化を算定し評価を行っております。
と説明しています。
分かりにくい説明ですが、名古屋市の主張を意訳すると、
「工事で壊すのは『一部(割合)』に過ぎないため、大部分の生息地は保全され、重要種は絶滅せずに残る(=影響は許容範囲内である)」
と考えられます。
名古屋市の「自主的な環境アセス」の検証
それでは、名古屋市が行った「自主的な環境アセス」について、検証してみます。
エッジ効果を無視
まず、この「工事で壊すのは『一部(割合)』に過ぎない」という主張は、エッジ効果などを無視しており、科学的とはいえません。
また、橋梁の下の状態を考慮したかも不明です。
個体群のネットワークについては?
さらに、「メスが飛べない」というヒメボタルの移動能力を踏まえて、
- 生息地同士の連結性がどう変わるのか?
- 分断後に個体群が存続できるのか?
といった個体群のネットワークを評価した結果も、市が公表した範囲では確認できません。
名古屋市の手法への疑問
- エッジ効果や橋梁の下の状態を踏まえた分断評価を行ったか?
- ヒメボタルの移動能力や個体群ネットワークの評価を行ったか?
- 行ったのであれば、その方法と結果は?
これは、市が自ら参照したと述べている基準に照らして、当然起きる疑問です。
「ヒメボタルが守れる」と言うためには何が必要なのか
ここが今回の問題の核心です。
名古屋市が2025年度に実施した「学識者ヒアリング」の資料には、
ホタルは丈夫。緑地内の広範囲にいるので道が出来ても絶対残る。
たとえ道路を建設して車が走ってもヒメボタルを守れそうということがかなりの確度をもって言えそうである。
という発言が掲載されています。
名古屋市自身も、2026年3月の住民説明会においても、「整備が終われば回復していくものと考えております」と主張しています。
「個体数が多い」ことは「絶滅しない」ことの証明にはならない
しかしながら、前述のように、科学的な調査では、「現在の状態」と「将来の状態」を区別する必要があります。
現在、個体数が多いとしても、生息地が分断されることで将来的な個体群動態が変化する可能性があります。
したがって、「現在、広範囲に生息している」というデータから、「道路建設後も確実に残る」という結論を直接導くことはできません。
学術的に検証するなら、数理モデルが必要
個体群がどうなるかを、学術的に検証するには、「メタ個体群モデル」や「個体群動態モデル」などの数理モデルを用います。
相生山緑地のヒメボタル調査においても、「学術」や「学識」の権威を利用するなら、適切な数理モデルで評価すべきです。
手法の例
例えば、ヒメボタルの個体群について学術的に調査する場合、
生息地 → ネットワーク → 個体群
というステップで調査・評価します。
| 調査ステップ | 問い | 手法の例 |
|---|---|---|
| ① 生息地 | 森・湿地などの生息地がどれだけ残るか | 生息地評価・GIS・ハビタット評価 |
| ② ネットワーク | 生息地同士の連結性が維持されるか | 連結性分析・メタ個体群モデル |
| ③ 個体群 | 各地域の個体群が将来も存続できるか | 個体群動態モデル(アリー効果)・PVA |
手法の例として登場する「メタ個体群モデル」や「個体群動態モデル」については、こちらの記事でなるべくシンプルに解説しています。
さらに詳しく
「学識」への信頼性が問われる事態に
生息地・ネットワーク・個体群
まとめると、学術の枠組みにおいて、「絶対残る」「かなりの確度をもって」というからには、現在の個体数調査に加えて、最低でも、
1. 生息地
- 生息地の分布
- 道路建設後の生息地面積
- 照明・騒音・乾燥化などの環境変化
- コア・エリアの破壊の影響
2. ネットワーク
- パッチ間の連結性
- 個体の移動能力
- 道路による分断効果
3. 個体群
- 将来的な局所絶滅と再定着
- 工事後の長期的な個体群動態
などを検討する必要があります。
既整備区間のデータの位置づけ
さらに言えば、
- 既に整備した区間のモニタリング結果が、これから整備するコア区域の将来を示す根拠になるのか?
- その場合、条件(一般車両の通行、照明など)の違いはどう考慮するのか?
という点も、検証が必要です。
他の記述についても、すべて信頼性が疑われる
以上のように、学術的な検証は、容易ではありません。
もし、「絶対残る」「かなりの確度をもって」という学識者の意見が、
「現在、広い範囲でヒメボタルが確認されている」
という事実だけを根拠としているならば、それはきわめて非科学的であり、学術の名に値しません。
市民の前で非科学的な主張を行ったことになります。
「学識者ヒアリング」の他の記述についても、すべて信頼性が疑われる事態となります。
まとめ
市が「ヒメボタルは守れる」とする根拠は、主に「広範囲に分布していること」と「既整備区間での回復」です。
しかし、「今いる」ことと「将来も残る」ことは別です。
「将来も残る」と言うには、生息地の質・連結性・個体群の存続可能性を、適切なモデルを用いて評価する必要があります。
また、ヒメボタルはメスが飛べないため、分断の影響や、再定着の難しさが、特に問題になります。
しかし、ヒメボタルの移動能力を踏まえた分断評価は、公表された範囲では確認できません。
ヒメボタルが将来にわたって存続できるのか?
「弥富相生山線」道路計画について問われていることは、
道路建設によって生息地の面積、質、連結性がどう変わり、その結果として、ヒメボタルの個体群が将来にわたって存続できるのか?
という問題です。
名古屋市が「ヒメボタルは守れる」と判断するのであれば、その判断を支える具体的な科学的根拠が必要になります。
現在の個体数調査だけではなく、道路建設による生息地の分断、個体群間の連結性、再定着可能性、将来的な個体群の存続性について、どのような調査・分析を行ったのか?
もし、そのような調査・分析を行うことなく、「絶対残る」「かなりの確度をもって」「整備が終われば回復していく」などと市民に向かって主張したのであれば、学術の権威の乱用であり、また名古屋市の資料そのものの信頼性が疑われる重大な問題です。
名古屋市には、この評価の方法と結果を、あらためて開示するよう求めたいと思います。