緑の価値を測る2つの物差し

相生山緑地の経済的価値について考える場合、2つの物差しがあります。

それが「環境コスト(外部不経済)」と「自然資本の経済評価」です。

  • 環境コスト(外部不経済):道路ができたら、どれだけの損害が生じるか?
  • 自然資本の経済評価:この森は、どれだけの価値を生み出しているか?

どちらも緑の価値を測る物差しですが、使うケースが異なります。


住宅の価格に例えると

この2つの物差しを、住宅に例えてみます。

ケース1:不動産屋の「査定」の場合

この住宅を不動産屋が査定する場合、

  • 土地の広さ
  • 立地
  • 建物の状態

などから、市場価格を見積もります。

これが「自然資本の経済評価」に近い考え方です。

「この森は、どれだけの恵み(癒やし機能、レクリエーション価値、気温を和らげる効果など)を生み出しているか」を見積もるのが、自然資本の経済評価です。

ケース2:「立ち退き」の場合

一方、もし行政が「ここに道路を通すので、立ち退いてください」と言ってきた場合を考えます。

この場合、行政に請求する「立ち退き料」は、単純な査定額よりも、かなり高くなるのが一般的です。

なぜなら、そこには「引っ越しの手間」「精神的な苦痛」「新しい生活を一から築く負担」など、単なる市場価格には表れない負担が上乗せされるからです。

これが、「環境コスト(外部不経済)」に近い考え方です。

「森を壊されることで、地域社会がどれだけの負担(生態系の破壊、住環境の悪化、将来世代への負担など)を被るか」を見積もるのが、「環境コスト(外部不経済)」です。


なぜ「立ち退き料」の方が高くなりがちなのか

これは、経済学や心理学の研究で、繰り返し確認されている現象です。

人は一般的に、「もらえる場合は、いくら欲しいか」よりも、「失う場合は、いくらの補償が必要か」の方を、大きく見積もる傾向があります。

これは「損失回避」と呼ばれる、人間の心理的な性質によるものです。

つまり、

「環境コスト(外部不経済)」の方が、「自然資本の経済評価」よりも、高く見積もられる傾向がある

という傾向があります。


2つの視点をどちらも持つことが大切

環境保全を訴える上で、この2つの視点は、どちらか一方だけでは不十分です。

それぞれの視点には、異なる役割があります。

1. 「査定(自然資本)」の視点

「この森には、これだけの価値がすでにある」と示すことは、その存在の重みを着実に伝える役割を果たします。

緑地を「ただの空き地」ではなく、地域が既に持っている資産として認識してもらうための、土台となる視点です。

2.「立ち退き料(環境コスト)」の視点

一方で、「これを壊したら、これだけの損害が生じる」と示すことは、目先の開発計画に対して、具体的な「待った」をかける役割を果たします。

道路の費用便益比(B/C)に含まれていない、見過ごされがちな負担を可視化する、より直接的な視点です。


まとめ

  • 「これだけの財産がある」ということ
  • 「それを壊せば、これだけの損をする」ということ

この2つを、どちらも忘れずに語ることが、環境保全を訴える上でとても大切だと思います。

片方だけでは、「価値があるのは分かったが、それでも道路の方が優先される」という反論に対抗しにくくなります。

逆に損害の話だけでは、「そもそも、この森にはどれほどの価値があったのか」という、そもそもの土台が見えにくくなってしまいます。

相生山緑地について語るときも、

  • 「この森が持つ価値」
  • 「この森を失うことで生じる損害」

この2つの物差しを使い分けてみると、より説得力のある議論ができるのではないかと思います。